散骨

最近、母との話の中で「散骨」の話題が出たりします。自分が死んだら、「散骨」してくれと

訴えます、、、ワタクシ的にはココロ穏やかではありませんが、、、、

さすがに、高齢の自らを想う先に「死」というものがちらついてしまうのでしょうか?

でもふと考えてしまいます。

ワタクシの亡くなった父方との縁は切っており、母もワタクシも死んだら入る墓が

無いのですねぇ、、、

貯金の無い、バカ息子のワタクシには新たに墓の購入も不可能ですし、、、

実は「散骨」が現実的な選択肢になったりします。

散骨については「それが葬送の為の祭祀として節度をもって行われる限り問題はない」

との法務省の見解と同様、自宅供養のための加工ですので、法律的には問題は無いようでね。

新しい葬送の形、「散骨」を代表とした、「自然葬」が社会的認知を受けるにつれて

「故人が散骨を希望していたが散骨をすると何も残らないのが気になる」といった話も

あるようですね、、、

「さびしくなるのでお骨を手元から手放せず、何年もたつのにまだ手元にある」という

「手元供養」もあるようです。

「手元供養」とは、最愛の方の遺骨やその加工品を身近に置くことで、それが心のよりどころ

となり、手を合わせる対象となったり、一緒に旅行に出かけたりすることで、故人を偲び、

語りかけ、またそのことで故人との絆を再確認する自由な、新しい形の供養の方法の様です。

「手元供養」は従来の形にとらわれず自分自身の故人への思いを表現するという新しい形なの

でしょうか、、、

ワタクシの場合はどうでしょうか、、、

母の遺骨は一部は「散骨」して、残りは「手元供養」として、自宅に置いておくかなぁ、、、

全部まいてしまうと、後に何も残らない虚しさにた耐えられそうにありませんから、、、

でも「散骨」はどこにまくのだろう、、、母とはそこまで話しておりませんが、、、

ところで「散骨」というとワタクシ的に反応せざるを得ないのが、セカチューです。

最後に朔ちゃんが亜紀の散骨をまく場所が母校の校庭のグランドです

走りたいだろ、、、亜紀

朔ちゃんは毎日、放課後のグランドで練習で走っている亜紀をずっと見つめていました

でも亜紀の遺言では「ウルル」にまいてとあります。

なぜ、朔ちゃんは散骨の場所を学校のグランドにしたのでしょうか、、、

あの「堤防」ではダメなのでしょうか

二人のファーストキスの「紫陽花の丘」は?、、、、

亜紀が短い人生の中で「幸せ」を感じた「夢島」ではダメなのでしょうか、、、

神脚本のセカチューのことですから、グランドで亜紀の散骨をすることに何か深い意味が

あるように思えます。

長くなりそうなので次回に続けます。

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